アジアの果てへの旅~インド・タイ・バリ島・カンボジア・ベトナム・ラオス・ニューヨーク旅行記

英語ダメ、汚いのダメ、小心者でメタボな不惑の男のインド、タイ、バリ島旅行記。汗と涙と牛と牛のウンコと下痢との戦いの記録。怒涛の一人ボケと突っ込みの嵐

◆ ブログ内検索

◆ カテゴリー

◆ 最近の記事

◆ タグ一覧(お探しのキーワードをクリックし

◆ ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

◆ 最新コメント

◆ ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

◆ リンク

このブログをリンクに追加する

◆ メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:


◆ アジアの果てへの旅-全体

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
ただ嘆くことしかできないのか(2008年インド旅行記)
DSCN0251.jpg
夜が更けても巡礼者が絶えまず渡るラクシュマンジューラー橋
写真や言葉だけでは伝わらないなぁ。
リシケシは、野良牛は多いし、道はウンコだらけだけど、美しい町なんだよ。
仙人が住むと言われたら、そうかもしれないと思える場所だ。

僕が、旅を意識するきっかけは、10代のころ、ジャック・ケルアックの『路上 (河出文庫 505A)』を読んだ時だ。
1950年代のアメリカを放浪する二人の、その時の自分と同世代の若者の破天荒な旅に感化され、自分も同じような旅を求めて友人と車で東北一週(ちっちぇ)の旅に出かけた。
その本の最終章に、主人公が、放浪の旅の終わりに、物語の本筋とは全く関係ない通りすがりの見ず知らずの老人から、”人のために嘆くようになれ”と諭される。
最初に読んだ時から、この言葉が心に引っ掛かっていた。
散々、破廉恥極まりない旅の果てに辿り着いた境地なのか・・・。
その時の自分に、この言葉の本当の意味など分かっていたと思えないが、人のために嘆く人間でありたいと単純に思った。

20代になって、セリーヌの『夜の果てへの旅〈上〉 〈下〉 (中公文庫)』を読んで、その後の人生観が変わった。
この本に書かれているような旅は、時代も違えば(第一次世界大戦直後)、状況も違う(ヨーロッパ)ので、同じような旅はとても出来ないし、したいとも思わないが、この旅の主人公の気持ちだけは分かったつもりでいた。
世界は不条理で溢れている

30代で、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで自分の人生を決定した。

40代で、遅ればせながらバックパッカーになった。

IMG_5273.jpg
僕が泊まるホテルの名前は、ガンガービューホテルだが、3階建ての3階の僕の部屋からでもガンガーは臨めない。
その代わり、下を覗くと空き地が見える。
そこには、数頭のロバと数人の労働者がいた。
彼らは、ロバを使い、空き地の側の小路の拡張工事なのか、斜面を削っては、土砂を荷台に積んで何処かに捨てる作業を一日中繰り返していた。
夕方、作業が終わると、ガンガーで汚れを落とし、何処からか水を汲んできて、簡単な食事を作る。
ロバたちにも餌を与え、一緒に食事をしていた。
次の日の朝も早くから、ガンガーで身体を清めて、食事を作り、食べ、そして斜面を削る。
夜は、貧相なテントで夜雨を避けながら、ロバの糞まみれの地面の上で眠る。土砂降りの雨では、テントは対して役には立たず、ずぶ濡れで横になっているだけの時もあった。

僕は、リシケシで、このホテルに宿泊した3日間、彼らを上から眺めていた。
僕と彼らは、一体何が違うんだろう・・・
偶々、生まれた場所が違う、そして生まれた階層が悪いというだけで、地べたに糞まみれで寝る生活をしなければならない彼らと僕は何が違うんだろうか?
僕は、彼らに聞きたくても聞けなかったことがある。僕は、彼らに聞きたかった。

”幸せかい?”って。
そして、その答えには、こう答えて欲しい。

”ふざけるな!幸せなわけないだろ!”
”毎日、毎日、糞まみれ、泥だらけで働いて、僅か数十ルピーで、どうやって生きりゃいいんだよ!”
”夢も希望もないわ、ドアホ!”


それが、”これで、まぁ、幸せだよ。取り合えず飯は食えるし、仕事もあるからね”

なんて答えられたやりきれない。

インドに来るまで、言葉としてのカースト制度は知っているつもりだったが、実態としてのカースト制度がこれほど酷いものだとは、全く知らなかった。
生まれながらにして、夢も希望もない人生を生きるしかいない人たちがいるんだよ。

インドでは、路上で暮らす家族を良くみる。
それが当たり前に思えるほど、たくさんいる。
路上で暮らす男女が子供を作り、その子供は生まれながらにして路上生活者になる。
路上生活者の子供たちの中には、脚が曲がっている子や、腕が無い子もいる。
親が子供達を故意に障害者に仕立てて、哀れみを増させて施しを得るためだ。
どんな気持ちでわが子の脚や腕を折るのか・・・
恐ろしいことだと思うが、そうまでしなければ生きられないのかと思うと絶望的に気持ちなる。

インドの貧困、格差に比べたら、日本のワーキングプアの問題も格差社会の問題も”誤差”程度にしか思えないほど、インドのそれは想像を絶する。

少女のような母親が子供抱えて、食べ物を得ようと、僕に向って手を差し伸べてくる。
僕は、目を合わせることすらしない。
逃げるように立ち去って、関わらないようにした。
母親は、すぐ別の人に纏わりつくが、その人にも相手にされない。
次の人にも、また、次の人にも、その親子に関わる人などいない。
数ルピーはおろか、水すら与えない。
この親子は、この世に間違いなく生きているし、存在しているが、インドという社会では透明人間なのだ。
誰一人として親子の存在に気付いていない。
気付いているのに、気付いていないフリをしてるんじゃなくて、まったく存在していないかのように、気付いていないんだ。
そういう僕も彼らを無視している。可哀想だと思っても、けして行動しない。
たまに偽善者ぶって、買い物のお釣りの数ルピーを渡したりすると、次から次へと物乞いが拠ってきて、逃げるようにそこから立ち去る。

僕だって、彼らと同じような存在なのに・・・

人のために嘆くような人間になりたいと思ったが、
ただ、彼らを嘆く事しかできない自分は、
結局、何も行動しない、関わらないように避けることで、
下位カーストを人間扱いしない、上位カーストと同じなんだよね。

自分の無力さ、情けなさに嫌悪した。

リシケシのホテルで、地上の労働者の眺めながら、セリーヌの、「夜の果てへの旅」を一説を思い出した。
いや、ずっとこう思っていたんだ。

「列車が駅にはいった、機関車を見たとたん、僕はもう自分の冒険に自信がなくなった。
僕はやせこけた体にあるだけの勇気をふるってモリーに接吻した。
こんどばかりは、苦痛を、真の苦痛を憶えた、みんなに対して、自分に対して、彼女に対して、すべての人間に対して。
僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶんこれなのだ、
ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。…」

そうなのだ・・・
僕は、身を切るような悲しみに出会うたびに、自分の生命を実感する。
僕は、自分自身が悲しい。
何もできない自分が身を切るように悲しい。

あの労働者たちは、今もどこかで、土砂を削るような仕事をしているのだろうか。
彼が責めて雨風防げるぐらいの暮らしができる日がやってくるのだろうか?
僕はそのために何ができるのだろうか。


~ブログランキングに参加しております~
お気に召しましたら、どうか下のボタンをクリックしてくださいませ♪
スポンサーサイト

テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

◆ プロフィール

はにゃ

Author:はにゃ
遅咲きのバックパッカー
人生とは、月を見たり花を見ること
心はいつもアジア放浪中

◆ 広告



◆ フリーエリア

◆ ブログランキング


copyright 2006-2007 アジアの果てへの旅~インド・タイ・バリ島・カンボジア・ベトナム・ラオス・ニューヨーク旅行記 all rights reserved. powered by FC2ブログ. designed by ダイエット.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。